Column

暮らす、生活する、働く。

2024.09.10

どうにも7月下旬から8月いっぱいは、夏休み気分でありまして、ちょっとばかしコラムの更新をサボってしまいました。
楽しみにしてくださっている方(いらっしゃると信じて)、お待たせしてごめんなさい。

その間、「コラムとは何か」に触れる機会があったのですけども、コラムとは個人の見解とか、テーマについての解説じみたものとかを執筆するものらしいです。

そういう意味では、今まではコラムではなく日記のようなものでした。
その点の不勉強についても、ご容赦いただけますと幸いです。

引き続き、「コラムなのかどうか論争」に終止符を打つことなく、いろいろ思うこと、感じること、経験したことなどを書いていきたいものです。

さて先日、祖母が現世から旅立ちました。
戦前、戦中、戦後と目まぐるしく変化した時代を生き抜きました。
一生の間にいったいどれほどの不条理があったのかと想像します。

宇宙ができてから、地球が生まれてから、人類が誕生してからの時間と比べると、私たちの一生なんてほんのわずか。まさに「一瞬」。
だったらもっと本気になって、現実に立ち向かってやろうじゃないかという力が、今、私には沸々と湧いています。

最近ふと、合点がいく考えを思いついたのです。
働くことのベースは生きること。
生きることって暮らすことなのではないか。

「暮らす」と「過ごす」とは違う。
過ごすというのは、例えば仕事をリタイアして時間に余裕ができたから、数週間~数ヶ月異国の地に居ようとかそういうことであって、「暮らす」というのは、その土地の文化や習慣に根付いて「生活すること」。

「生活」と「暮らす」は同じこと。

生活のため働くって、なんだかすごくドライな言葉に聞こえるけど、きっと本質はそういうことなのだと考え及び、なんだかスッキリしました。

決して、売上のため、チームのため、会社のために働いているわけじゃない。
そのためだと思うと、少なからず「キツい」思いをする羽目になるけど、家族とともに(もちろん一人でも)いつも暮らしている場所で毎日生活するために働いているっていうのは、ものすごく道理にかなっているし、立派なことだと思う。

Writer

齋藤 悦子

1980年生まれ。就職氷河期に社会人デビュー。26歳から13年間採用支援業界に身を置く。ひょんなことからフリーライターの道へ。ラジオとエッセイとレモンサワーが好き、スノーボードとたまにテニス、ドラム特訓中。

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